3月18日午前10時22分(日本時間:11時22分)、南極観測船「しらせ」は昨年の11月30日に出港して以来、100日以上の行動期間を経て再びフリーマントル港に戻ってきました。64次越冬隊にとっては、一昨年の12月1日にここを出港して実に1年3カ月以上の時を経た末に戻ってきた極地以外の人が住む大地です。16日午前に最後の海洋観測を終了し、北上を続けた「しらせ」は、17日の夕刻にはフリーマントル港の沖合まで到達して錨泊、港外の海上にて一夜を明かしました。
1週間程前までは氷点下だった外気温は17日正午には21.9度まで急激に上昇しました。「しらせ」の船内では、空調の暖房から冷房への切り替えが徐々に進めているようで、区画によっては半袖で過ごす観測隊員がいる一方、広報隊員の寝室では上着が一枚必要な程ヒンヤリとしています。
ちなみに「しらせ」の航海中で一番寒かったのは、2月22日のアムンゼン湾内と3月6日のトッテン氷河沖で、それぞれ正午の気温が-9.9度でした。この時ばかりは羽毛服を着用しましたが、南極大陸沿岸付近での平均気温は0度程度とすごく寒かったという程ではなかったようです。もちろん昭和基地や、大陸氷床上の観測拠点などの方がより寒かったことは付け加えておきます。
まず見えてきた陸地は、西オーストラリア州パースの沖合に浮かぶロッドネスト島でした。久しぶりに近づいてきた陸地と、そこに営まれる確かな生命活動や人の世界を目にすることができた感慨に、深くゆっくりと呼吸を整えながらしみじみとしばしの間見つめ続けました。同じように陸地を見つめる観測隊員がいたり、また電波の通ったスマートフォンとにらめっこする観測隊員もいたりします。通信先は人それぞれかとは思いますが、広報隊員がまず連絡をとったのは、やはり日本に残してきた家族です。弱い自分を補完し見えない手で支えてくれた人との心の懸け橋として、昭和基地でもインターネット回線とスマートフォンは大事な役割を果たしてくれました。
18日朝、快晴となった空の下「しらせ」はゆっくり進み始め10時22分、ついに往路と同じフリーマントル港の岸壁に着岸したのでした。
(JARE65 丹保俊哉)