アムンゼン湾岸オペレーションに想う(宙空チーム取材)

リュツォ・ホルム湾を離れ、東へと向かった南極観測船「しらせ」は2月20日の朝、昭和基地からおよそ500kmの距離にあるアムンゼン湾へと入りました。アムンゼン湾沿岸での、地圏変動モニタリング観測や、測地観測、岩石調査、宙空圏観測について、最大3日間の日程で野外活動を実行するためです。広報隊員はそのうち宙空圏の観測チームに同行取材することにし、撮影機材やヘリコプターへの搭乗準備を整えていましたが、この日の天気は雪で雲底が低く、視程も十分とは言えず、10時には「しらせ」より当日の飛行作業中止がアナウンスされ、野外活動は翌日に順延となってしまいました。

アデリーペンギンたちを乗せた流氷をゆっくりと掻き分けて、「しらせ」はアムンゼン湾の湾央へと向かいます。この日は雲底が低くやや遠方の氷山も靄のためぼんやりとしていて、ヘリコプターの飛行作業には適していない天候でした。撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月20日)

氷海の厚い氷を突き割って進むことのできる砕氷船に、広い行動半径を有し大量の物資と人員を送り込める大型のCH輸送ヘリコプターを搭載し、機動観測基地ともいえる「しらせ」を以ってしても、南極の自然に抗うことができないというシーンは何度か経験してきました。日本という温暖で過ごしやすく社会基盤が発達した環境で、安定した日々の生活を送り、仕事を予定通りこなしていけることに慣れきった身にとっては、度重なる日程の再調整や中止にその都度、大きな落胆とストレスを感じてきました。とはいえ南極地域観測隊の活動期間は限られていて、その中で観測や設営の日程をやり繰りしなければなりません。自然の極みを探求しようとする観測隊が、その営みに調和して自身の活動に折り合いをつけることを、ごく当たり前のことと受け入れられる広い心を養わなければと思いつつ、未だ心の狭さが目立つ自分に小さな溜息が零れます。

翌21日、天候が回復してヘリコプターの運用が可能となったのは午後からでした。アムンゼン湾の氷海上に停船した「しらせ」の飛行甲板を飛び立ったCH輸送ヘリコプターが十数分のフライトで着陸しようとした場所は、大きいもので1メートル程にもなる岩塊や礫で覆われた大地でした。整地舗装されたヘリポートとは違って、不整地面に着陸する瞬間は機内に緊張が走ります。尖った浮石に降着装置の車輪が乗ってパンクしないか、軟弱な地面が機体を支えきれず車輪が埋まってしまわないか、またメインローターの回転で引き起こされる強烈なダウンウォッシュ(空気の下降流)が細かな雪や砂礫を舞い上げて、操縦士の視界と平衡感覚を奪ってしまわないかなど、複数の危険がこの瞬間、同時に迫ってくるからです。操縦士は時間を掛けて慎重に、慎重にヘリを降下させます。地表が近づいてくるとダウンウォッシュが細かな雪や砂礫を舞い上がらせ、窓の外が数瞬霞みます。乗降口では航空士が地表の安全を確認しながら、ヘッドセットを通して操縦士に様子を伝えているようです。ジェットエンジンの音が飽和する機内で、広報隊員は少し緊張しつつそうした様子を見つめていると、やがて機体が着地した軽い振動が体に伝わってきました。機体が安定していることを確認した航空士が手信号で降機できることを示し、他の観測隊員に引き続いて機外へと降り立ちホッとするのも束の間、ヘリの機内から野外活動に使用する機材を搬出するべく、観測隊お馴染みのバケツリレーがここでも始まるのでした。

CH輸送ヘリから降機した観測隊員たちが、手を振ってヘリの離陸を見送ろうとしているところです。一緒に搬出した機材がダウンウォッシュで飛散しないように体で保定しています。撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月21日)

観測隊員の降機と機材の搬出を終えたCH輸送ヘリコプターは、同乗していた他の観測チームとともに別の野外活動地点へと飛び立っていきました。アムンゼン湾での野外活動は短期日程で、湾岸に複数の観測チームが同時展開することになっていたため、ヘリコプターは幾つかの着陸地点を経由しつつ「しらせ」との間も往復して、各チームと機材を輸送する慌ただしいスケジュールが組まれたのでした。

広報隊員が降り立ったのは、アムンゼン湾の東縁に聳えるリーセルラルセン山(標高868m)に程近い海沿いの露岩域でした。リュツォ・ホルム湾沿岸で取材してきた露岩域のなだらかな丘陵とは対極的に、リーセルラルセン山は槍ヶ岳を彷彿とさせる見事な岩の穂先を天に翳し、雄々しいその肩からナイフエッジの尾根を弓なりに翼のように広げつつも堅牢な構えをみせていて、その姿は「かっこいい」の一言に尽きました。山腹に見えるカール地形とともに、降り立った場所を含めて山麓の広範囲の地表が岩塊や砂礫に覆われていることからも、かつて発達していた氷河が山体を侵食して作られた地形であることが推測されました。

槍の矛先を天に掲げるかのように岩稜を屹立させるリーセルラルセン山の山頂部。撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月21日)
無人航空機より空撮したリーセルラルセン山。山頂から左右に伸びる稜線の間にスプーンカット状の幅の広い谷が観察され、氷河の侵食が作った圏谷のように見えます。谷底には堆石丘のような地形が、また山麓には氷河が運んだと思われる岩屑や砂礫が広く分布していました。撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月21日)
太古代の大陸衝突で大地が圧縮引き延ばされた痕跡、縞模様が独特の片麻岩が露岩域の表面に現れています。撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月21日)

雄大な岩稜に目を奪われていた広報隊員を余所に、8名のメンバーからなる宙空チームは、着陸地点から百数十メートルの位置に構築されている無人観測点へと移動します。その目的は、無人観測点にあるオーロラ観測装置と地磁気変動を観測する磁力計の機能を維持するための保守作業です。どちらの観測も南極域の複数地点で同時におこなっていて、極域の宙空圏で発生している電磁気的な現象の変動を時空間的に捉えて、より発展的な研究データの構築に活かすために欠かせない重要なデータを取得しています。

観測点に到着し、機器の状況を確認した宙空チームは早速、予め決められていた役割に分かれて作業を開始しました。無人観測点のオーロラ観測装置は風力と太陽光で、また磁力計は太陽光で発電した電力を蓄電池に貯めつつ稼働し、得られた観測データは一部を衛星通信回線で日本に伝送するようになっています。保守作業では、これら観測装置内の記録媒体に保存されていた観測データを記録媒体ごと交換して持ち帰ることや、観測装置のシステムに異常がないかの点検、風力発電機の点検と破損個所の部品交換、蓄電池の消耗具合の確認など、チーム内で効率よく分担して作業が進められていきました。この日、破損が確認されたものの「しらせ」での補修が必要となった風力発電機1基についての部品交換作業や、磁力計の再立ち上げで正常な動作が確認できなかったことの対処などについて翌日に持ち越しとなり、一旦帰艦することになりました。

無人オーロラ観測装置の保守作業の段取りを打ち合わせる宙空チームの隊員たち。撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月21日
無人オーロラ観測装置から観測データの保存されている記録媒体を交換している最中の様子です。装置上面に取り付けられた透明カバーの中に超高感度のオーロラカメラが入っています。撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月21日)

風力発電機の風車の羽根の取り付けが緩んでいたため、マストを倒して接合部のネジの増し締めを行っています。撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月21日)
地磁気観測用のフラックスゲート磁力計(写真中央奥)とその記録制御装置・蓄電池(写真右手)と太陽電池パネル(写真左手)撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月21日)

しかし翌22日の昼過ぎ、宙空チームは無人観測点で残りの保守作業を完了出来ないまま「しらせ」のアムンゼン湾離脱が決まりました。というのも、CH輸送ヘリとともにそれまで観測隊の足となって活躍してくれていたAS観測隊ヘリに故障が発生し、飛行することができなくなったからです。CH輸送ヘリは1機飛行可能ではあったものの、1機のみの体制の運用では安全上の冗長性が確保できません。万一野外に観測チームを送り出した後に、そのヘリにも故障が生じた場合、観測チームを迎えに行くことができなくなる恐れが生じるのです。この状況を受けて、アムンゼン湾で予定されていた野外活動は全て終了または中断せざるを得なくなったのでした。南極という厳しい自然環境下を「しらせ」が単独で行動していることを考慮すると、安全水準を高いレベルに設定しなければならず、こうした判断も当然のことと言えました。

一方、広報隊員としては、アムンゼン湾での観測隊の活躍をどのように伝えればよいか、とても頭を悩ませてしまったオペレーションとなりましたが、観測隊がその観測計画や設営計画を達成させることは、針に糸を通すよりも困難なことであることを知っていただく機会として記事を作成することにしました。

おだやかな好天で絶好の観測日和の中、アムンゼン湾を離れざるを得ない「しらせ」の露天甲板からは、リーセルラルセン山を含む美しくも鋭い岩稜が湾岸に並ぶ様をパノラマに一望できました。「ままならないなぁ」と後ろ髪を引かれる思いでつぶやき、南極行動中に見られる最後の大陸露岩域をカメラに残そうとシャッターを切った広報隊員でした。

(JARE65 丹保俊哉)

アムンゼン湾に漂う大量の蓮葉氷(海氷の赤ちゃん)。一瞬クラゲ?!っと思ってギョッとしました。撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月22日)
当初「しらせ」をできるだけ沿岸に接近させて飛行作業をおこなえないか検討されましたが、前夜に吹いた強風で氷山、海氷が航路上をふさぐように分散してしまいそれもあきらめざるを得なくなりました。撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月22日)
中国の砕氷船「雪龍」がアムンゼン湾内で海洋調査を行うために接近してきました。南極海で別の船を初めて目にできてうれしくなりました。ちょっとそのヘリコプター貸して!撮影:JARE65 石山幸秀(2024年2月22日)