2月15日の午後、65次越冬隊27名全員参加のうえ、昭和基地の管理棟から約100m離れた場所にある福島ケルン前にて、故福島紳隊員の慰霊祭を執り行いました。福島ケルンは、第4次南極地域観測隊の越冬隊として参加された福島隊員の死を悼むために建てられた石積みの慰霊碑です。
故福島隊員は、1960年10月10日、ブリザードのなか外出し遭難され、懸命の捜索が続けられましたが発見されず、遭難から一週間後の10月17日、死亡を認定するやむなきに至りました。ご遺体は、それから7年半後の1968年2月9日、9次隊の隊員によって西オングル島で発見されました。行松越冬隊長からは、「福島隊員が越冬されていた64年前当時と比べると、昭和基地の建物・設備・車輛などは格段に整備され、建屋内にいると南極にいることを忘れてしまいそうな程快適になっています。しかし、南極の厳しい自然は、福島さんが遭難された当時から変わってはいません。越冬開始を迎える今、福島さんの遭難事故を風化させず、私達65次隊も、福島さんの尊い犠牲を教訓に、二度と遭難を起こすまいとの決意を新たにし、安全をお誓い申し上げます。」と慰霊の辞を述べました。
観測隊ではこの痛ましい遭難事故を教訓に、基地の建屋間全体にライフロープを設置したり、外出禁止令を定める等の安全対策が講じられることとなりました。また、毎隊次、この福島ケルンで慰霊祭を執り行い、越冬を始めるにあたり、身を引き締め、安全に越冬を乗り越える決意を新たにすることが受け継がれてきました。
日本の南極地域観測隊では、福島さんの遭難以降、幸いにも死者は出ていません。私達65次隊でも安全に留意し活動することを常に心に留め、決して遭難や事故を起こさず全員笑顔で帰国することを誓いました。
(JARE65 山岡 麻奈美)