さようなら、夏隊 また日本で会いましょう

慌ただしかった夏期オペレーションが終わり、65次夏隊ともお別れの時がやってきました。2月11日、最後まで昭和基地で業務にあたっていた南極観測船しらせで帰国する夏隊10名が、観測隊がチャーターするヘリコプターにて、しらせに戻っていきました。

別れを惜しむ越冬隊員と夏隊の木下隊員(中央)
撮影:JARE65 山岡麻奈美(2024年2月11日)
行松越冬隊長(左)より、しらせに帰艦する隊員一人一人に、労いの言葉がかけられました。
撮影:JARE65 山岡麻奈美(2024年2月11日)
ヘリコプターに乗り込む直前まで互いに言葉を掛け合う姿に、この夏期間、苦楽をともにした時間を思い出し目頭が熱くなりました。
撮影:JARE65 山岡麻奈美(2024年2月11日)
しらせに戻るヘリコプターが離陸しました。基地での任務を完遂した彼らに、昭和基地はどう映っているのでしょう。
肩の荷を下ろし、充足感に包まれていることを願います。お疲れさまでした!
撮影:JARE65 山岡麻奈美(2024年2月11日)
離陸後、昭和基地を旋回し、ヘリポート上空に戻ってきてホバリングしてくれました。見えるかな?また日本で会いましょうね! 
撮影:JARE65 山岡麻奈美(2024年2月11日)

翌2月12日、DROMLAN(https://www.nipr.ac.jp/antarctic/jarestations/setsuei-yusou04.html)で帰国する隊員16名が昭和基地を去り、S17滑走路(昭和基地の東約20kmの大陸氷床上)に向けて移動しました。

DROMLANメンバーも帰国の途につきます。お元気で!
撮影:JARE65 山岡麻奈美(2024年2月12日)

夏期間、最大で100名近くの隊員が活動し、賑やかだった昭和基地は、越冬隊27名になりました。絶え間なく聞こえていた無線機でのやり取りはすっかり少なくなり、物資輸送や人員輸送で毎日飛来していたヘリコプターの姿もなくなり、基地内は閑散としています。

65次隊メンバーとの出会いは、2023年2月末から3月初旬にかけて長野県湯の丸高原で実施された、冬期総合訓練でした。7月には国立極地研究所に隊員室が開設され、各部門で国内準備や打ち合わせを実施してきました。11月24日に日本を出発してからおよそ2か月、しらせ船上と昭和基地での夏期間をともに過ごしてきた夏隊とのお別れは、彼らが昭和基地から去った後に、もう基地内で活動をともにすることはないのだと実感が湧いてきて、心にぽっかりと穴が開いてしまったかのようです。

これから66次先遣隊をお迎えするまでのおよそ9ヵ月、どんなことがあっても、27人で乗り越えていかなければなりません。生活に必要不可欠な電気や水も、生活をするうえで排出する汚水・廃棄物の処理も、昭和基地では担当の隊員が整えてくれています。

観測データを継続的に取得すること。建物・車両管理をはじめ、発電や造水、廃棄物処理といった生活のインフラを含む、観測隊の生活基盤を維持すること。64次越冬隊から引き継いだこの昭和基地の運営を、越冬終了後、66次隊に引き継げるよう、これから1年間昭和基地を維持・管理してまいりますので、応援・ご支援の程よろしくお願いいたします。

(JARE65 山岡麻奈美)