夏隊が「しらせ」へ お元気で!越冬隊!

2月12日、観測隊ヘリコプター(観測隊ヘリ)のパイロットと整備士が観測隊ヘリと共に昭和基地から「しらせ」に戻り、昨年の12月20日から昭和基地へ入っていた65次南極地域観測隊の夏隊本隊は、全員が南極観測船「しらせ」へと戻りました。

前日の11日には、夏期オペレーションの後片付けなどで最後まで昭和基地に残留していた65次夏隊の10名を、オングル海峡に再進入した「しらせ」へと観測隊ヘリコプターで移送し終えており、昭和基地における観測隊の夏期オペレーションに区切りがつきました。

観測隊ヘリコプターで「しらせ」に戻ってきた夏隊員を出迎える橋田観測隊長(左端)。撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月11日)
戻ってきた隊員らを出迎えて握手を交わし今日までの労をねぎらいます。
撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月11日)

広報隊員は2月6日に一足先に「しらせ」へと戻りました。昭和基地のAヘリポートには行松越冬隊長以下65次越冬隊員が、基地を離れる隊員・同行者を見送ろうと集まってくれました。彼らの一人ひとりと握手を交わしながら「しらせ」から来るヘリコプターの着陸を待ちます。

日本を出発してから約80日間に渡って苦楽と寝食を共にしてきた仲間を、昭和基地に残して去るということの寂しさや申し訳なさ、心配する気持ちが自然と心の底から沸き立ち、鼻の奥をツンと刺激します。互いに笑顔で「ありがとう」「お元気で」と声を掛け合いながらも、サングラスの奥ではどちらも目を赤くさせているようでした。

Aヘリポートを飛び立ったヘリコプターは、最後まで手を振り続けようとしてくれる越冬隊員にダウンウォッシュの旋風を置き土産にして「しらせ」へと機首を向けます。広報隊員は、あっという間に小さくなっていく越冬隊員と昭和基地に最後までレンズを向けて、彼らの姿を記録に残そうと懸命にシャッターを切り続けました。

昭和基地Aヘリポートに見送りに来てくれた65次越冬隊と、「しらせ」に戻る65次夏隊。広報隊員の求めに快く笑顔で手を振ってくれました。
撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月6日)

夏隊が「しらせ」に戻り始めるとともに、広報隊員も過ごした第2夏期隊員宿舎がまず閉鎖されました。基地では人の気配が少しずつ薄れていったことでしょう。生コンや建設資材を運搬するトラックや重機の走行音、クレーンが資材を持ち上げて旋回するときのエンジンの音、朝から夕方まで鳴り響き続けていた新夏期隊員宿舎を建設する槌音、そして無線機のスピーカーからひっきりなしに聞こえていた隊員たちの会話が、夏オペの音が、基地から途絶え静かになっていくのです。

ヘリコプターの離陸とともに生じるダウンウォッシュに耐えながら懸命に手を振ってくれる65次越冬隊の隊員たち。左側のフォークリフトにしがみついて、カメラに向けてサムズアップしてくれているのは行松越冬隊長です。その体を張った見送り方に思わずジンときてしまいました。
撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月6日)
中央左側に見えている赤色の施設は、広報隊員が過ごした第2夏期隊員宿舎です。おもわず「さようなら、昭和基地…」と小さくつぶやきました。
撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月6日)

夏隊広報にとってこの節目は、基地の設営や観測といった夏オペの様子を観測隊ブログとして日本に紹介する役割にひとつ区切りがついたという実感をもたらす事柄でもありました。そして夏オペと一言で済ませるにはあまりに多くの観測と設営の業務が進行し、その全てを取材・紹介したいと思うこと自体、身の程知らずではあるものの、やはり昭和基地でやり残した仕事の多さを感じ、広報としての役割を果しえたのだろうかと自問自答する機会がこの最終便でした。そうした思いはきっと、生涯の記憶として残り続けるだろうということに疑いを持っていません。

「しらせ」に戻った日の日付が変わるころ、甲板に出てみると昭和基地が遠望出来ました。別れを惜しむようして点灯された基地の照明から「ここにいるよ」という思いがひしひしと伝わってきて胸が締め付けられました。
撮影:JARE65 丹保俊哉(2024年2月11日)

とはいえ、夏期間の観測はまだ終わっていません。この後、観測隊と「しらせ」はリュツォ・ホルム湾での海洋調査を実施しつつ北上し、湾口からは大陸沿岸を東へと転進。アムンゼン湾沿岸の露岩域では、岩石・宙空・地圏・測地のチームが観測活動を実施する予定です。

2月下旬にはトッテン氷河沖で約2週間に渡る集中観測を実施して、3月18日にはオーストラリア西岸のフリーマントル港に入港、空路にて21日に日本へ帰国する予定です。引き続き夏隊、越冬隊それぞれの活動を観測隊ブログでお伝えします。どうぞよろしくお願いします!

(JARE65 丹保俊哉)