ルンドボークスヘッタでの海氷観測(後編)

12月27日、海氷観測本番の朝を迎えましたが、この日は終日空一面に薄曇りが広がっていました。海氷を扱う観測チームにとっては直射日光を遮ってくれるこの天気の方が好都合とのことでしたが、自分にとってはまるで気持ちが反映されているかのように思えて頬をパンと叩き喝を入れ直します。

ルンドボークスヘッタでの海氷観測の位置図 基図に国土地理院の南極地形図(標高版)を使用

白抜き四角形のマークがベースキャンプで、白抜き丸形のマークが海氷観測を行った位置、青線と赤線はそれぞれ12/27、12/28の行動ルートを表します。地理院地図から確認したい方はこちら

輸送ヘリで運んだ物資機材の中には4台のソリが含まれていました。観測に必要な機材と採取した海氷を日本に持ち帰るためのクーラーボックスや行動食などをソリに分乗させ、まず昨日下見を済ませた湾へと重くなったソリを引っ張って出発します。ソリですから露岩上の雪面を伝って移動します。途中で雪がなくなっているところは、みんなで雪塊を拾ってきては踏みつぶし雪道を作って前進したり、ソリを持ち上げて露岩上を移動したりしました。雪上車やスノーモービルが華々しく活躍する南極観測をイメージされるかもしれませんが、現実はそう甘くはありません。もちろんそれらが活躍する調査もありますが、寧ろ地形や環境の制限を受けて運用できない観測系の方が多く、野外の夏オペはヘリコプターの広い行動範囲と輸送力が強い味方であるものの、ベースキャンプからの移動手段は徒歩以外の選択肢がない実情です。

様々な荷姿の機材を上手にソリへ積まないとバランスが悪くなったり保定紐が解けて荷物を落としてしまったりするので時間をかけてしっかり積み込みます。ソリは4台しかないため、広報隊員はソリに積みにくい荷姿のものを持ったり、途中役割交代したりしながらソリ隊の後ろを付いていきます。撮影:JARE65 丹保俊哉(2023年12月27日)
調査日2日目の28日は快晴となって日中は風も弱く温かい1日でした。パワーとスタミナにあふれた伊藤隊員が率先して重量のあるソリを牽引して先導します。
撮影:JARE65 丹保俊哉(2023年12月28日)
時にはみんなでソリを持ち上げて移動することも。ここはまだその距離が短い場所です。帰りはクーラーボックス満杯に採取した海氷がソリを重くするので5人がかりで1台ずつ持ち上げ移動させます。広報隊員としては運動不足が祟ってなかなかのハードワークでした。
撮影:JARE65 丹保俊哉(2023年12月28日)

海氷上へ出たあとは、タイドクラックに気を付けて縦列を崩さないようにし、観測点までまっ平で眺望も良い氷上を快適に行進していきます。先頭で伊藤隊員が、ゾンデ棒を使って足元の安全を確認しながら苦労して進んでいることなど気にも留めずに。周囲の環境を確認した伊藤隊員が「観測点ここにします」と決めた場所に着くと早速機材の展開が始まります。

ソリの保定紐を外して調査機材を展開します。
撮影 JARE65 丹保俊哉(2023年12月27日)
伊藤隊員と同行者町田さんが海氷コアの採取準備を進める後ろでは、ボークス氷河が静かにリュツォ・ホルム湾へと流れ込んで氷山を量産しています。
撮影 JARE65 丹保俊哉(2023年12月28日)

広報隊員はドライスーツを着ると聞いたとき、海の水に浸かりながら海氷を採取するのだろうと想像して震えていたのですが、流石にそうではありませんでした。薄氷を踏み抜いてクラックに落ちてしまうという万一の場合に備えた安全装備だったという落ちで、それを知った瞬間とてもホッとしたものです。実際には、海氷コアラーという専用機材を使って海氷の表面から底面まで垂直に貫き、直径9cmの円柱(海氷コア)として採取します。また海氷コアの内部温度や、掘削してできた穴に簡易的なCTDセンサーを懸下して海底までの塩分と水温を測定するなど、採取した海氷がどのような環境の中にいたのかも合わせて得ていきます。

海氷コアラーの先端を海氷に宛がって円柱状に海氷コアを切削始めようとする瞬間です。海氷が厚く海氷コアラーの全長以上の場合は、延長棒を連結して複数回に分けてコアを得ます。今回の観測では概ね2m弱の海氷厚のサンプルが得られました。
撮影 JARE65 丹保俊哉(2023年12月27日)
海氷コアラ―が海氷を貫通したときの様子(写真上)とその穴の様子(写真下赤矢印の先)です。海氷の底面から垂れ下がっているのはアイスアルジー(海氷藻類)でしょうか、逆さまのチンアナゴのようでちょっとかわいくみえますね。
撮影 JARE65 丹保俊哉(2023年12月28日)
採取した海氷コアを人工芝の上に寝かせて最初にまずその状態を記録します。
撮影 JARE65 丹保俊哉(2023年12月28日)
ドリルで穿孔し海氷コアの氷内温度をおよそ5cm間隔で計測していきます。日射を受けるとどんどん温度が上がってしまい採取前の元の環境とはかけ離れた記録になってしまうので、採取したてに行う早さ勝負の作業になります。
撮影 JARE65 丹保俊哉(2023年12月27日)

海氷チームはこうした観測を2日間に渡って5箇所でおこないました。「湾内と外洋という地形や環境の差異が海氷の成長に影響するかもしれないということを探るため」と伊藤隊員がその理由を話してくれました。更に海氷チームは海水や海底堆積物なども同時に採取しています。担当する塩崎隊員は「海氷を含むそれらに窒素固定生物が存在するかを探し求めています」とも話してくれました。海氷には生物生産量を底上げする栄養物質が含まれていて、その融解とともに栄養物質を海洋に供給していると考えられています。海氷チームの目的は、窒素固定生物の住処とその合成した栄養物質を海氷が取り込む過程を明らかにして、極寒の南極海が高い生物生産力を示すことのルーツを探ろうとしていたのです。

海氷下の海水をポンプで汲み上げてサンプル瓶で持ち帰ります。サンプルは遺伝子検査機器に掛けられて、窒素固定生物固有の遺伝子情報の有無を調べます。
撮影 JARE65 丹保俊哉(2023年12月27日)
タイドクラックの隙間から海底の堆積物を採集することのできる採泥器を下ろしている塩崎隊員。堆積物中に窒素固定生物が棲んでいないかを探ろうとしています。
撮影 JARE65 丹保俊哉(2023年12月27日)
採泥器の上蓋を開けて採集された海底堆積物をサンプル容器に移し替えます。堆積物には小さなウニや海藻も混じっていました。
撮影 JARE65 丹保俊哉(2023年12月27日)

海氷チームはこのあと更に昭和基地を含む4箇所の露岩域でひたすらに海氷と向き合う調査を繰り広げる予定です。広報隊員が4日間に渡って海氷チーム4人とふれあって感じたのは目の美しさでした。それは人の目の届かない極地の理を自分の手で紐解きたいという願望を叶え、今まさに直球勝負している人の目でした。一方の広報隊員は、不整地面での慣れない野営で眠りが浅く、疲労を蓄積させて虚ろな目で昭和基地へと戻ったのでした。

開放水面の反対側からガーと一声上げた一羽のペンギンが、こちら側の海氷上に泳ぎ渡ってきて、海氷チームの調査の様子を見物に来ました。誰も構ってくれないと見るやあっさりと海へ戻っていきました。
撮影 JARE65 丹保俊哉(2023年12月27日)
ベースキャンプ地では発動発電機を運用して、採取した海氷コアの一時保管用冷凍庫や昭和基地との連絡手段であるHF(短波)無線機、炊飯器などの電力を得ています。
撮影 JARE65 丹保俊哉(2023年12月28日)

(JARE65 丹保俊哉)