南極の大魚・ライギョダマシ

南極の海にはその凍てつく海で生きるために特殊な進化を遂げた魚が生息しており、昭和基地ではそういった魚の調査のための釣りが例年行われています。中でも最大1.8mにもなる大型の魚「ライギョダマシ」は水深数百メートルという生息域やその生息密度から捕獲が難しく、ライギョダマシの調査は南極での生活が長い越冬隊の伝統的ミッションの一つになっています。私達63次隊でもライギョダマシの調査を行いました。

ハードルとなったのは、海の上に張った分厚い「海氷」です。1m以上の分厚い氷の下の魚を捕まえるには穴を開けて糸を垂らさなければなりません。ワカサギ釣りのような釣りであれば手回しドリルでも穴を開けられますが、巨大なライギョダマシを釣り上げるには人が一人余裕をもって通れるくらいの大きな穴を開けなければなりません。昨年故障した氷専用ドリルの代わりに63次隊で急遽調達した「土堀り用」のドリルでは、南極の分厚い氷には文字通り歯が立たちませんでした。氷を掘る能力は落ち、時間も力も余計にかかってしまった結果、私は穴を開けている最中に人生初のぎっくり腰を経験することとなりました。

この状況を打破するため、63次隊の正治隊員と櫻庭隊員を中心としてドリルの改造が進められ、氷専用の物に勝るとも劣らない掘削能力を持つドリルが完成しました。この二人は他にも釣り竿やリール、仕掛けにも改良を加え、水深600mからドリルの回転を使って巻き上げる巻き上げ機も開発してくれました。この二人無くして63次隊の魚類調査は成り立たなかったでしょう。

左:従来の氷専用ドリル 右:土掘り用から氷用に自前で改造したドリル
撮影:JARE63 根岸晃芸(2022年11月13日)

こうした道具の問題を乗り越えつつ、2022年10月初めからライギョダマシ調査が始まりました。電気のコードドラムを改造して作ったリールに極太のPEラインを巻き付け、水深620mまで仕掛けを沈めていきます。初めのうちは魚の気配は全くなく、餌のイカや魚についてくるヨコエビやひも状の生き物に悩まされました。だんだん夏に向けて気温が上がってくると、途端に海から生き物の気配を感じることが多くなってきました。基地の周りでペンギンを見かけるようになり、空には渡り鳥が飛び始めます。ある日は、いつものようにライギョダマシの仕掛けを確認し、餌をつけなおす作業をしていると、背後から「ブシュー」とクジラの噴気のような音が聞こえてきました。振り返ってみると、我々が作業をしている穴からウェッデルアザラシが顔を出し、苦しそうに呼吸をしています!水深数百メートルまで潜るこのアザラシは、海中での狩りから浮上してきたところ、海を覆った氷から差しこむ光を見つけて呼吸をしにやってきたのでしょう。我々を横目で見ながら逃げる様子もなく、苦しそうに20分ほど呼吸を続けたあと再び海水中に潜っていきました。普段は氷の隙間を利用するか、歯で氷を掘り進めて呼吸する穴を作るアザラシですが、我々の調査用の穴のおかげで思いがけず楽ができたのではないでしょうか。

浅い場所で釣れたライギョダマシの幼魚
撮影:JARE63 澤友歌(2022年10月6日)

餌についたひも状の生き物
撮影:JARE63 根岸晃芸(2022年10月17日)
氷の穴から呼吸するアザラシ
撮影:JARE63 根岸晃芸(2022年10月17日)

海全体の生物活動が活発になると、海底でも何かが動き始めているようでした。仕掛けを確認しに行くと、竿先が上下しています。急いで巻き上げると、残りたった数十mの所で大物用の太い仕掛けが切れてしまいました。落胆と喪失感に打ちのめされながら、明らかな反応を感じた我々は落ち込む暇もなく仕掛けを強化・修繕し、すぐに仕掛けを海に投入しました。そしてついに10月31日、重いリールを代わる代わる手で巻き上げていくと竿に錘では感じられないぐいぐいと引っ張るような動きが!今度は冷静に、慎重に、手動でゆっくりとリールを巻きあげると、水中から大きな魚の顔が姿を現しました。

50cm四方ほどの氷の穴を埋め尽くすような魚の頭。「釣れている!!」と声が上がり一気に興奮が広がります。絶対に逃がさないように、焦って穴に落ちないように、海水に手を入れ引き上げようとすると...上がらない....重すぎてとても一人では持ち上げられないのです。二人がかりで何とか引き上げると、その大きさと重さに衝撃を受けました。しかしその喜びも束の間、「もう一匹いる!」と声が。釣れた魚を穴から離して、慎重にもう一匹を取り込みます。一度に2匹も採取できるなんて!と感動する暇もなく「またいる!」、「もう一匹」・・・結局5本仕掛けてあった針のうち4本にライギョダマシがかかっていました。最後の一匹は残念ながら取り込みの際に逃がしてしまいましたが、3匹は無事に採取することができました。
夢に見た、南極の大魚、ライギョダマシです。名前とは裏腹に、クエのような見た目をしていて、歯は鋭く、分厚い防寒手袋を貫通してしまうほどです。浮袋を持たないため水深600mから上げても水圧差で目が飛び出るようなこともなく、きれいな姿をしています。昔、国立科学博物館の深海魚展で見た、あのライギョダマシをついに生で見る事ができました。仕事の合間に仕掛けの設置や片付けの手伝いなど様々な人の助けを借りてやっと捕獲することができました。嬉しさと同時に、63次隊としてしっかり記録を残せてよかったと、越冬中の魚類調査の責任者として重くのしかかっていた肩の荷がやっと下りました。

ライギョダマシを引き上げる櫻庭隊員と正治隊員
撮影:JARE63 菊池健生(2022年10月31日)
採取したライギョダマシ
左から95cm/10.5kg、122cm/21.7kg、133cm/30.6kg(全長/重量)
撮影:JARE63 菊池健生(2022年10月31日)

基地に持ち帰ったライギョダマシは、全長・体長・重量を測定し、さらに魚拓を取った後、冷凍庫に保管しました。三匹のうちの一匹を解剖して胃の内容物や生殖器精査したところ、胃からは大量の魚が出てきました。解剖した魚は、最後に調理の香月隊員によっておいしく調理されました。ふわふわとした食感で脂も多く、見た目とは裏腹な繊細な味のライギョダマシを、数少ない南極の味覚としておいしくいただくことができました。

ライギョダマシの料理
和食の職人らしく、繊細な味で脂っこい身をさっぱりとおいしくいただけました。
撮影:JARE63 金重真実(2022年11月1日)

(JARE63根岸晃芸)