2月10日(木)午前、63次越冬隊32名全員が参加し、昭和基地の管理棟から約100m離れた場所に建てられた福島ケルン(石積みの慰霊碑)の前で4次越冬隊の故福島紳隊員の慰霊祭を執り行いました。
故福島隊員は、1960年10月10日、ブリザードの中を外出して遭難され、懸命の捜索にもかかわらず、遭難から1週間後の17日に死亡と認定するやむなきに至りました。ご遺体は、それから7年半後の1968年2月9日、9次隊の隊員によって西オングル島で発見されました。ちょうど54年前の2月10日に現地で荼毘に付された後、ご遺骨は遭難当時の盟友であった吉田栄夫隊員に背負われて昭和基地に到着し、ご遺族の希望で福島ケルンに分骨納骨されました。
澤柿63次越冬隊長は、遭難事故の経緯説明のあと、「昨年他界された私の恩師である吉田栄夫先生が常々大切にされていた福島隊員との友情に思いを馳せるとき、南極観測における人と人との繋がりの深さをしみじみと感じていました。福島隊員の尊い犠牲を教訓にし、二度と遭難を起こさないように常に心がけようと決意を新たにし、安全をお誓い申し上げます」と慰霊の辞を述べました。
その後、一人ずつケルンに手を合わせ、黙祷を捧げて故人のご冥福をお祈りするとともに、安全を祈願しました。
慰霊祭の最後に、澤柿隊長から越冬に向けた決意を問われた63次越冬隊員一同は、64次隊に昭和基地の管理と運営を引き継ぐまで、安全を第一に業務にあたることを心に誓いました。
(JARE63 馬場健太郎)