1月22日、「しらせ」は、コウテイペンギンとアデリーペンギンの間を通り定着氷を抜けて流氷域に入った。往路の定着氷縁付近では、海氷はなく藍色の海面が広がっており、1月10日にヘリコプターで偵察した時も状況は変わらなかった。しかし、この日の定着氷縁付近は一面、海氷に覆われていた。
南極大陸の沿岸では西向きの海流が卓越しており、リュツォ・ホルム湾周辺でも、海氷や氷山は、この沿岸流に沿って移動する。極地研は、「しらせ」の航行を支援するため、人工衛星画像などにより、海氷や氷山の状況を監視している。1月上旬にリュツォ・ホルム湾の東、プリンス・オラフ海岸の定着氷が広い範囲で割れ、割れた一部がゆっくりと西に移動しており、「しらせ」が流氷域に入る際には影響を受ける可能性があるとの連絡を受けていた。海に浮かぶ海氷は、海流の他にも、低気圧に伴う風でも流されるため、その動きを正確に予測することは大変難しい。
大きな氷山の多くも東から流れてくる。定着氷縁付近の水深は400mくらいなので、水面下の厚さがそれよりも深い氷山は着底、すなわち海の底に引っ掛かり、その場に留まる。その後、数か月数年をかけてゆっくりと融解が進むと、引っ掛かりが外れてまた移動を再開する、あるいは幾つかのピースに割れて徐々に小さくなり、最後には海に戻る。上の写真の氷山は、1月10日のヘリコプターからの偵察で視認した氷山で、1月22日には定着氷縁で「しらせ」からも確認でき、その北側(写真左側)は広く厚さ2m前後の海氷で覆われていた。極地研からの情報の通り、最近割れて流されてきた定着氷のようであった。もし、「しらせ」がここに至る以前に非常に強い強い低気圧の影響を直接受けるようなことがあると、海氷が幾重にも折り重なって、きつく固まっている状態、すなわち乱氷帯が形成される。そのような乱氷帯は、「しらせ」でもたやすくは突破できないところだが、この日に遭遇した海氷は、一面に広がってはいたものの、重なることなく、緩く接している程度であった。氷海は時に厳しく、時に穏やかであるが、今回は後者の面を見せてくれたように思う。
「しらせ」は6~10ノットの船速で海氷を啓きながら北上していく。見覚えがある氷山が視界に入った。1か月前の往路で写真に収めた氷山であることは間違いないが、この日は周囲を海氷で囲まれており、また、近傍の大きな氷山の位置も異なっていた。氷海に入る時と出る時、1か月以上を隔てて再びまみえたのは何かの縁のような、あるいは見送られたような温かい気持ちになった。「しらせ」はブリッジから流氷縁が視認できるところまで進み、夕方に停船観測を行い、この日は流氷縁の手前5km付近で停留した。すでに白夜は終わり、0時前後に日は沈み、数時間の薄明が続いていた。
翌23日の朝、「しらせ」は北上を再開し、数時間後には流氷縁を離脱した。昭和基地を離岸する時には第62次越冬隊が腕を幾度となく降ってくれたし、コウテイペンギンが定着氷を出るのを見届けてくれた。そして、流氷縁ではユキドリやナンキョクオオトウゾクカモメが上空を旋回している。復路8000海里の帰路の始まりに、これほど盛大な見送りを受けるのは、思いもかけず嬉しかった。
(JARE62 橋田元)