ありそうでなかったもの

それは、62次隊の出発準備中のことでした。

「昭和基地の風呂に富士山の絵があったらおもろいやろ。」
建築の久岡隊員の言葉に僕は飛びつきました。
近年はだんだんと数が減ってきましたが、関東地方には浴室の奥の壁一面にペンキで絵が描いてある銭湯が多くありました。その画題はたいてい富士山と海です。そんな銭湯のある町に住んでいた頃、風呂に入りながら毎日ゆっくり富士山の絵を眺めても飽きなかったのを思い出しました。
「いいですね!是非やりましょう!以前、銭湯の富士山の絵を描く作業を見学したことがあって、作業風景の写真を撮ってあるので、参考になると思います。ペンキは、5色あればたいていの色が出せるらしいです。」
久岡隊員は、ペンキや刷毛を調達してくれました。

 観測隊員は、様々な分野のエキスパートですが、仕事の専門分野以外にも色々と特技を持った人がいます。越冬生活が始まったばかりの頃には、まだ、そうしたプライベートな部分はお互いに知らなかったりするのですが、だんだんと分かってきます。調理の濵谷内隊員がとんでもなく絵が上手なのも皆の知るところとなりました。調理隊員は、2人で31人の普段の朝昼晩の食事以外に夜勤の隊員の夜食や野外調査時の携帯食なども作るのでとても多忙です。濵谷内隊員は、休日や夜間に少しずつ時間を見つけて絵を描いてくれました。大きな木製パネルは、久岡隊員が作りました。何人もの隊員の協力で作業が進みました。

濵谷内隊員は、手で豪快にペンキを塗っていきます。
撮影:JARE62 金城 順二(2021年7月27日)

9月のある日、突然、お風呂場に完成した絵が運び込まれました。
昭和基地のお風呂場は、洗い場が3人分、湯舟も3人がやっとのサイズで決して大きくはありません。でも、壁いっぱいに富士山の絵が掲げられると広々として見えるから不思議です。そして、富士山の手前の海には、南極観測船「しらせ」が浮いていました!しらせ搭載のヘリコプターが飛ぶ姿は躍動感満点です。普段の3倍くらい長湯をしました。

翌日は、月に1度、風呂の湯を入れ替える日でした。水の貴重な昭和基地では、風呂のお湯は発電機の廃熱で加温する熱交換 器、ろ過装置、紫外線殺菌装置を経て循環させていて、かけ湯に汲みだした分を足しながら使っています。お湯を全て抜いての配管掃除は、月に1度だけ行われています。風呂掃除の後の一番風呂は、普段は小さな浴槽を使っている女性隊員に開放されることになっています。「竹の湯」と呼ばれている基地の男湯がこの時は「梅の湯」に看板を掛け替えます。いつもより広い風呂で大きな富士山を堪能したそうです。女湯には、濵谷内隊員が書いた小さいサイズの絵が貼られました。

これから毎日、こんな素晴らしい絵を眺めながら風呂に入れるなんて幸せです。

完成したペンキ絵と濵谷内隊員
撮影:JARE62 金城 順二(2021年9月9日)
女湯の絵
撮影:JARE62 赤松 澪(2021年9月11日)

 

(JARE62 大下 和久)