「お外でたくない!」
引きこもり生活をこよなく愛するが故に昭和基地ライフは余裕だと信じていました。
野外安全行動訓練※注1 (以下、野外訓練) に出かけるまでは。
よく晴れた4月末の昭和基地。気温は-20℃。野外訓練の日です。朝から支度をするのですが、建物内では、服が重いし、暑くて、どんどん憂鬱になってきます。
持っていくものの指示は、事前にあったものから追加で前日に口頭伝達。専門用語だらけで野外行動の経験がない私にはよくわからなかったので、早めに集合して、他の訓練参加者と違うものがあったら確認して部屋と外を何往復かしてやっと準備完了。それでも時間に間に合わせるのは訓練という業務だから。
履き慣れず、重く圧迫感も強いバフィン。足取りはどんどん重くなります。幸いにして、経験者の多い班でしたので、地図やコンパスの見方に迷っても、十分なサポートをしてもらえます。
ゾンデ棒を突きながら氷の上を歩いていきますが、金属製の棒は重く冷たく、指先の力を奪っていきます。睫毛に氷が付着し視界もままなりません。
はぁ、帰りたい。
泣き言は思っても、口にした瞬間、帰りたくなるに決まってます。
お昼の時間が近づきました。無線通信で昭和基地でのお昼のメニューがアナウンスされます、「天津飯」と。そして、それを自慢する無線が続きます。野外にいる我々には手に入らない、暖かな食事を、基地を守るために残った数名の隊員は無線通信で次々に自慢してくるのです。
悔しい。羨ましいよ!こっちは寒いんだよ!フラストレーションはどんどん積もり積もっていきます。
「うっせえぇ!!」
高台の上から吐き捨てるように叫びましたが、まだまだ帰りの道のりは遠いのです。
さて、少し遅れて、お昼ご飯の時間がやってきました。メニューは暖かな屋内で基地に残った隊員たちが食べている作り立ての天津飯と違って、カップラーメンです。カップラーメンにお湯を注いで、待ちます。が、
「早く食べた方がいいよ」
と経験者からアドバイスが。1分ちょっとしか経っておらず、まだまだ硬いカップ麺。麺をほぐしても明らかに硬い・・・。が大人しく一口口にすると・・・。ぬるい?
極寒の野晒しでカップ麺を作ることができるというのは幻想です。
よくTwitterでラーメンが凍った写真が流れてきますが、寒い中ではカップ麺を作ることすらままなりません。硬い麺を一生懸命咀嚼し、食べ切る頃にはスープは冷たくなってます。ランチの辛い状況はここでは終わりません。野外においてスープを捨てることはゴミの処理の観点からできません。つまりカップ麺の底にのこった冷え切ったスープを飲みきらねばならないのです。塩分とかカロリーを気にしている場合ではありません。
もう冷蔵庫の中で冷えた麦茶と同じぐらいの温度になっているカップ麺のスープを飲み干すという苦行・・・。
そこに現れたのはシーフードピラフおにぎり。調理隊員が朝から握ってくれたものです。幸いにして、シーフードヌードルを食べていたこともあり、ポケットで人肌程度の温もりを維持できていたおにぎり(ただしぺちゃんこ)をインしました。
潰れたおにぎりを割り箸でつついて崩して、ひたひたにします。カップの端っこの方が固形化しているような気もしますが、油が固まっているのでしょうか?
食べきらねばならない、その義務感から、冷たいおにぎりinシーフードヌードルスープを飲み干します。
エビの食感だけは変わらないのが何よりも救いでした。
快適な室内で、作り立てのご飯を食べていたいつもの自分が羨ましいを通り越しそうですね。
世は並べてこともなしと快適な基地生活から一転、野外は、寒く厳しい環境です。
基地に戻ってきた後、優しい調理隊員は、また天津飯を作ってくれることを約束してくれました。次の天津飯の日は基地内で暖かなご飯にありつける日であることを祈るばかりです。
- 注1: 野外安全行動訓練は、昭和基地を離れて野外へ調査に行く時のために実施されます。昭和基地がある東オングル島から、海氷上を渡って西オングル島に上陸し、そこから凍結した池 (大池) の上を横切り、第1次隊が上陸式を行った地点まで行き、昼食を取ります。昼食後、海氷を渡り、東オングル島の南側にある小さな島、ポルホルメンに上陸し、その後、東オングル島に戻り、胎内岩を経由して昭和基地に戻ります。約6kmの行程を徒歩で移動します。見どころも多く、気温がもう少し高ければ、違った内容のレポートになったかも知れません。
(JARE61 佐々木貴美、注1:青山雄一)