こんにちは。
国立極地研究所 南極・北極科学館です。

今日は十三夜です
日本では、旧暦の8月15日の月を中秋の名月(十五夜)、
そして旧暦の9月13日の月を十三夜と言って、お月見をする風習があります。
中秋の名月は台風到来の時期と重なり、すっきりしない天気のことが多いため、
「次の月にお月見をしよう!」と、日本独自に考え出されたのが十三夜です。
中秋の名月に次いで美しい月と言われる十三夜。
きれいなお月様を見たいところですが…残念ながら台風の関東直撃で、
今日はお月見どころではないようです

南極・北極科学館も、明日10月12日(土)は公共交通機関の運休や、
安全面を考慮し、休館します。
ご了承のほど、なにとぞお願いいたします。


ところで、59年前の1960年10月10日。
昭和基地でとても悲しい出来事がありました。
第4次南極地域観測隊(1959-61年)の福島 紳(ふくしま しん)隊員の遭難です。
その日福島隊員は、屋外につながれたカラフト犬の給餌を終え、
海氷上に置かれたソリの点検に向かったところ、ブリザードのために方向を見失い、
行方不明になってしまいました。
直前まで福島隊員と一緒にいた吉田 栄夫(よしだ よしお)隊員は、
村石 幸彦(むらいし ゆきひこ)隊員と共に福島隊員の捜索に当たりましたが、
発見には至らず、ブリザードのため基地に帰ることもできず、ビバークすることに。
その後の懸命な捜索活動でも、福島隊員の姿を見つけることはできませんでした。

福島隊員が発見されたのは1968年2月9日。第8次隊から第9次隊に交代する頃でした。
第9次隊が地質調査に出かけたところ、岩陰に横たわる福島隊員の姿がありました。
昭和基地から4kmほど離れたところだったそうです。
第8次隊は帰国寸前で、船に乗り込んだところでした。
偶然にも、第8次隊には吉田隊員をはじめ第4次隊の仲間が5人、第9次隊には2人いて、涙の再会になりました。

3 【福島隊員の遺骨を背負う吉田隊員(右)】 提供:吉田栄夫氏

広報誌『極』18号、吉田栄夫「第4次越冬-厳しい試練に耐えて(2)」をどうぞご覧ください。


吉田隊員、村石隊員は、現在「日本極地研究振興会」で活躍されています。

南極・北極科学館のミュージアムショップは、日本極地研究振興会の皆さんに
運営していただいているのです!

https://twitter.com/JpraShop/status/1157483320109719552

Image1_2_1 お二人が科学館のガイドをしてくださることも…。

吉田隊員(中央)と村石隊員(左)と藤井理行 元所長(右)。お話を聞けたらラッキーです!

現在、福島隊員の遺体が発見された場所には石を積んだケルンが作られており、
越冬隊は毎年、このケルンで慰霊祭を行っています。
福島隊員の遭難をきっかけにして、観測隊の安全対策は強化され、外出注意令・禁止令を発令したり、
ライフロープを張ったりするようになりました。
福島隊員の事故による教えは、今日の、そしてこれからの南極観測に生かされています。

昭和基地NOW‼でも、毎年慰霊祭の紹介をしています。ぜひご覧ください。


自然に人間は抗えないもの。
今回の台風も万全の準備をしておかないといけませんね!

皆さん、くれぐれもご注意を!

【南極・昭和基地】午前4時(日本時間:午前10時)
天気:曇り
気温:-10.7℃
風向・風速:北北西1.7m/s
日の出:4:44
日の入:19:32

【東京都立川市】午前10時
天気:曇り
気温:19.5℃