こんにちは。
国立極地研究所 南極・北極科学館です。

昨日11月8日は、第1次南卿地域観測隊を乗せた観測船「宗谷」が、
東京の晴海港を出航してから62年目の日でした。

1956年(昭和31年)11月8日に出航した第1次隊。隊員は53人でした。
1957年(昭和32年)1月29日には、第1 次隊永田武隊長以下全員がそろってオングル島に上陸し、
その地に「昭和基地」を開設することを決定したのです。

30_1         【宗谷出航】


そもそも、なぜ日本は南極観測に参加したのでしょうか?実は、このような歴史があります。

第1回国際極年(国際協同のもと、極地で観測を行うと位置づけられた年)は、1882~1883 年に、
ヨーロッパを中心に11か国が参加し、北極などでさまざまな観測活動が行われました。
1932~1933 年には第2回国際極年が開催され、日本を含めた34 か国が参加しました。
北極での観測が中心で、南極での活動は少しだけでした。
1957 年~1958 年に開催された「国際地球観測年」(IGY,International Geophysical Year)に、
南極での本格的な観測が計画されました(※「国際極年」→「国際地球観測年」に名称が変わりました)。
日本は当初、敗戦国ということもあり、IGY での南極観測を予定していませんでした。
しかし、白瀬南極探検隊(1910~1912)の実績がある上、南極地域の現地調査や観測の重要性を
感じる研究者が多かったため、1955 年にベルギーのブリュッセルで国際地球観測年に向けた会議が行われた際、
日本は南極観測の参加を表明しました。
第2 次世界大戦の遺恨を持つ国からは、「国際舞台に復帰する資格なし」という激しい反論がありましたが、
日本を代表して出席した永田武(ながたたけし)東大教授(のちの第1次南極観測隊長、極地研究所初代所長)が、
白瀬南極探検隊の活動成果と日本の地球科学に対する過去の実績を主張し、
最終的には全会一致で国際承認を得ることができ、正式に日本の参加が決定されました。

Na5     【永田武第1次隊長と宗谷】

日本の南極観測の参加が決定したとき、国民は熱狂的に歓迎しました。
盛大な見送りを受けて出発した第1次隊から、62年の時が経ち、
間もなく第60次南極地域観測隊が出発しようとしています。
第1次隊が昭和基地を開設したからこそ、現在まで日本の南極観測が続いているのですね。


開催中の企画展示「南極観測隊と動物たちⅡ~日本から南極に行った動物 初期観測隊と歩んだ道~」では、
カラフト犬等の動物についてだけでなく、南極観測隊のあゆみについても詳しく解説していますので、
ご興味のある方は、ぜひ企画展示を見にいらしてください。

Takeshi032 【永田武隊長の名前をもらった猫の「たけし」 宗谷甲板にて】


お待ちしております!

【南極・昭和基地】午前4時(日本時間:午前10時)
天気:晴れ
気温:-19.2℃
風向・風速:西北西0.4m/s
日の出:2:22
日の入:21:54

【東京都立川市】午前10時
天気:くもり
気温:17.3℃